バビロニア占星術
最古の黄道帯、古代メソポタミアで生まれた
星座
歴史と起源
この一覧のなかで、もし起源と呼ぶにふさわしい体系があるとすれば、それはこれである。あなたの知る黄道十二宮――十二の星座、それぞれが天の三十分の一――はバビロニアで生み出され、この地図帳にあるほとんどすべての黄道体系、とりわけ西洋のそれは、これに由来する。バビロニアの天体観測は古く、綿密で、記録に残された。ゆうに千年をこえるあいだ、神官たちは月と太陽と惑星の運行を粘土板に書きとめてきたのである。
その偉大な初期の記録が MUL.APIN であり、紀元前一〇〇〇年ごろまでに編まれたバビロニア天文学の集成である。そこにはすでに、月の通り道に沿って並ぶ星座――十八の星座、すなわち黄道十二宮の直接の祖先であり、牡牛、獅子、蠍などを含む――が列挙されている。しかしこれらはなお大きさのそろわぬ星座であり、天のいくつかの領域を示すものにすぎず、のちに続く整然とした数理的な図式ではなかった。
その図式こそがバビロニア真の発明である。紀元前五世紀の後半、バビロニアの天文学者たちは新たなことを成し遂げた。彼らは黄道――太陽が一年をかけてめぐる道――を、正確に三十度ずつの等しい十二の宮に分けたのである。これこそ本来の意味での黄道十二宮であった。もはや不揃いな星の絵姿ではなく、惑星を追跡するための精密な座標系だったのだ。それは科学の歴史における、静かな里程標のひとつである。
そこから、それは旅立った。バビロニア天文学はギリシア人へと伝わり、彼らがホロスコープと性格の説を加えた。ギリシア人からローマ、インド、そしてついには世界全体へと広がっていった。だからこの地図帳がある体系を「西洋から取り入れられた」とか「バビロニアに由来する」と述べるとき、そこで意味されているのはこのバビロニアである。正直な評価はいたって簡潔で、そして今回ばかりは壮大だ。これこそ本物であり、残りのほとんどを生み出した親なのである。